家族の在り方
2022 / 02 / 14 ( Mon ) 先日、某ベーシストの自宅に録音に行った。 世田谷区にある団地に住んでいて、その一部屋で管楽器のK氏と3人でやったんだけど、狭いリビングでベーシストがセロリを炒めたり、サラダなんか作ってくれて飲みながら話をしたりして、楽しかった。なんだかんだこの人たちとの付き合いももう四半世紀になる。 レコーディングは子供の漫画とか絵とか飾ってある雑多な部屋に、彼の寝る時に使う敷パットを吸音材というか、ボロ隠しに使い、映像も撮ったりした。 彼には奥さんと3人の子供がいて、その日高校生の長男がオンライン授業らしく、お腹すいたーとリビングにきたり、夕方小学生の娘が帰ってきて、おやつをみんなで食べた後、さっきレコーディングした部屋で宿題をしたりしたり。お父さんたいして音楽の仕事ないし、へんてこりんな陰謀論ばかり言ってるけど、なんかほのぼのといい家族だなと思った。 「全ての人をフレームイン」という素晴らしいキャッチフレーズで若者支援をしているNPO法人の石井さんがFBで書いていたことを思い出す。 引きこもっている若者の部屋にお邪魔する機会がよくあったんだけど、大概はエアコンがあって、スマホやPC、テレビゲームがあって、自室で完結できるように出来上がっているんですよね。と。 うちの実家には子供部屋がそれぞれ2階にあったけど、それぞれの部屋にテレビはなく、寝る以外はリビングにいて家族みんなで1台のテレビを見て、横で誰かは本を読んだり、なんについてもよく話していた。 石井さんの家は「個人が尊重され過ぎず、どこかが常に干渉し合っていて、お互いに配慮しているんだけど(ぼくのステレオは配慮が足りません)、自由が保障されている感じ。」と買いてあるが、それって昔からあるべき家族の在り方なのかなーと思うと同時に、インターネットが充実している現在は家族みんなの共通な話題やプライバシーの尊重なんか部屋に鍵なんかつけたりでなかなか難しいのだろうなとも思う。 というのも、知り合いが都内の一等地に家を買い、引っ越しをしたが、家庭内はかなり悲惨な状態らしい。部屋が幾つもあるが、家族はある部分で非常に無関心で排他的であり、ある部分で驚くほど依存し干渉しあっている。 親子の縁を切るとか、夫婦の別居を考えているとか。 知り合いの男も夫婦で結構稼いで立派なマンションに住んでいるが、夫婦仲は最悪で、口をひらけば喧嘩ばかりだと。 一人娘はどんな気持ちなんだろうと心配になる。 生きていく上で何を重視するか 絶対にお金ではない気がする。お金も大事だけどさ一番じゃないね。 まず身近な家族や恋人と仲良くする。 その延長線上に個人の自由や世界の平和があるんだと思うんだけどな。 スポンサーサイト
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